2000/7/24

 月。それはなんと言ったらいいか・・・私の全て。私の願いであり、道標であり、神であり、私自身であり、そして時として1番残酷。
 私が月をこんなふうに意識しだしたのはもう随分前のこと。とても辛かった日、奇跡を信じた日、たまらなく一人を感じた日・・・いつもそこには月があった。ある時、今までで1番辛かった日がを月食だったことを知り、そして振り返れば、忘れられない束の間の悦びの夜は、いつも高い高い空の彼方に真っ白い満月が輝いていたことを思い出した。そう認識してから、私はいつも月を慕ってきた。
 月はルナティック
という言葉の語源でもあるように、とかく狂気や悪の象徴とされる。でも、月は善でも悪でもない。自分自身を映し出す鏡のようなもの。狂気を持っていれば狂気を、平穏な心を持っていれば平穏な心を増幅させる。だから月は私自身。
 月は自分自身では決して輝くことができない。けれど月はいつだって変わらずにそこにある。どんなに魅惑的な花が咲こうとも、どんなに開放の風が吹こうとも、月は唯々そこにいる。愛するものに対し、あるいは憎むべきものに対して、月は唯々、凛とそこにいる。美しい満月に見えたり、欠片のようにしか見えなかったりするけれど、どんな風に見えるか?それは見る者のスタンスの違いでしかない。月は決して動かず、そして何も言わない。そこに悦びがあっても、どれほどの悲しみがあっても、月は何も言わず唯そこにいるだけ。でもそれは決して虚無的な態度ではない。何かを頑なに信じている故の冷たい輝き。そう、月は太陽の光を期待せずに待っている。そこには光を待ちわびている媚態も無く、光が訪れないことに対する嘆きも無い。「必ず光が訪れる」と、外に対してではなく自分自身に対して強く信じている。だから、冷たく突き放すような輝きなのに悪意が無い。そしてその姿は、ともすると月の孤立した冷たさだけを、悲観的な思いからだけ崇拝しようとする私を諭す。
 だから私は、こんなにも月に惹かれる。だから私は月を慕う。でもそれは決して崇拝ではない。私は私自身の道を行くのみ。
                  月のように冷たく輝く人となる為に・・・

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