**風**

夢って何だろうね?始めは何か遠くにある光り輝く、とてつもなく素晴らしいものだった。そして、少しでもそれに近付きたくて必死に走り、目一杯に手を伸ばす。

でも、夢って風みたいなもの?風は流動している空気。それが素敵で手に入れたいと思う。でも、手に入れてしまった瞬間風は風でなくなる。そこにあるのは閉じ込められた淀んだ空気。しっかり掴めば掴むほど風は風でなくなってしまう。「何で!どうして!」って思って、それを腕の中であやしたてみたり、怒ってみたりするけれどそこには、あの時の風はない。愕然として疲れ果て、手を緩めたすきにそれは再びあの風になり、またも私を魅了する。

風を流動している空気だと認識していなかった訳じゃない。閉じ込めたら風が風でなくなってしまう事も本当は分かっていたのかも知れない。でも、それでもやっぱりあの風を手に入れたくて・・・。それが夢なのかな?だから夢なのかな?

だから夢を見るならとてつもなく大きな夢がいい。風で言うなら、とても強くて速い、痛みさえ兼ね備えているような風がいい。でも、それだけじゃあまりの大きさに身動きできなくなってしまうから、爽やかな風や暖かい風にも憧れる。そして、そういう風をつかもうとしないで、包まれていけばいい。もう少しで届きそうな幾つもの風に追いつき、抱かれながら、それでもいつも必ず大きな強い風を見つめていればいい。

努力と忍耐という言葉は力強いけど明るさが無い。ひたむきな努力や忍耐は、ともするとネガティブな暗さになりかねない。だから私は<情熱と向上心>で生きていきたい!

これは一見言葉遊びのようだけど、努力を向上心に置き換えると、私の頭の中でひたむきに地を見つめて歩き続けている私が前方を見つめて軽快に歩き出す。道の途中の幾つもの苦しい障害さえもが、自分の力を試す楽しい遊びに変ってくる。忍耐を情熱に置き換えると、心の中に呑み込めずに引っかかっていた怒りや不満が氷が溶けるようにすんなり喉を通っていく。

夢に向かってひたむきに、がむしゃらに頑張っていた頃の自分の若さを素敵だと思う。あの頃のあんな強さを取り戻したいと嘆いていた。あの頃の私は、あまりにも希望に満ちあふれていた。でも今は、それを信じるにはあまりにも多くのものを経験しすぎてしまった。私は二度とあの頃の私には戻れない。一度何かを知ってしまったら、二度と知らなかった頃には戻れない。だからこそ思う。もっと肩の力を抜いて、負ける事さえも次に勝つ為の装飾音符だと楽しみながら、軽快に生きていきたいと・・・。とは言っても私の肩はいつも力み過ぎて、こってるんだけどね・・・。肩がこると頭が痛くなって足がだるくなって、踏み出せるはずの一歩さえ踏み出せなくなってしまう。心も同じ!

だから私は<情熱と向上心!>で生きていこうと思う。そうしていつの日か、あの大きな風に包まれたいと思う。

今は春の、まだ少し冷たい風に包まれながら・・・。

P.S.去年の春に書いたものだったんだけど、諦めに取り憑かれている今の私に少し力をくれた。自己満足でも、自分の言葉に自分が励まされる。これだから止められない!

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