親愛なる君へ 2000/8/23

彼との出会いは大学に入学してすぐのこと。うちの大学にはロック系の音楽サークルが3つあったんだけど、先輩の代まではあんまり交流が無かったっていうのを聞いて、私たちは「皆音楽が好きな仲間なんだから、仲良くやろうぜ!」って言って、全音楽サークル新歓コンパを新入生自ら企画したの。そして、そのコンパで会ったのが最初だったと思う。彼はギタリスト。ちょっとニヒルな感じで、独特の雰囲気を持っていた。そして私が「マルタ」って呼ばれているのを聞いて駆け寄ってきて「何でマルタって呼ばれてるの?」って(笑)。っていうか名前だからなんだけど・・・。どうやら彼はマルタって言う名前の大好きな人(男か女か日本人か外人か何にも分からないんだけど)がいたらしく、まず私の名前だけで私に一目置いてくれたみたい(笑)。

彼はいつも輪の中心ではなく限りなく輪に近い輪の外にいた。でも、いつも楽しそうに輪を見ていた。おとなしいって訳ではなく、かといって大人ぶってるわけでもなく・・・。とにかく独特の雰囲気で、人を嫌な気分にさせない彼ならではのニヒリズム。その雰囲気が私は大好きだった。

ここには書けないけど彼には悩みがあったの。そして、その悩みを彼も私も深刻なものにしないために軽く冗談めかして話したりしてた。そしてその悩みが解決したら二人でそれを確認しようねって言い合ってたの(これじゃ何のことかさっぱり分からないよね(笑)。でも、話せないんだな、これが。ごめんね。何となくで読み進んでね)。結局、彼の悩みは解決したけど、二人の冗談みたいな約束は叶わなかったけど・・・。

彼は若くして病気で逝ってしまった。でも、彼の追悼ライブが私達の母校の学生ホールというところで行われた。主催したのは彼と仲の良かった先輩。そして、皆んなずぼらで連絡取り合ったりってことを、なかなかしない仲なのに、こういうときはちゃんと皆んな集まってる。誰一人しんみりしたりせず、彼が一番望んでいることをちゃんと分かっている。夜の7時から10時過ぎまでホールを(ホールとは名ばかりでまさにライブハウスという感じの場所なんだよ)開放してくれた学校も素晴らしいでしょ!

それにしてもホント懐かしかった。私たちはいつも学校にたまってた。ホールや部室棟があってビールも学食で売っていて、近くの酒屋さんが校舎までお酒を届けてくれるということもあって、私たちはいつも大学内で飲んだくれていた(笑)。(なんせ教授がウィスキーのボトルを持って校舎をうろついてるくらいだからね(笑))ライブも大学内の学生ホールを使ってたし・・・。

私は、その日は歌わなかったけど、先輩や後輩の演奏を見ながら凄く感じた。私の魂のようなものが今もここにあるって。あの頃の私は必死だった。危うい壊れそうな自分を必死に支えてた。あの頃の私の歌は苦しくて命がけだった。久しぶりに行ったホールにはそんな私の魂が未だに浮遊していた。そして、私はその魂にこれからも生きつづけて欲しいと思った。私はここにいる。今も歌いつづけている。それをその魂に伝えることが出来た。

その後、 ホールを出てすぐのところにある階段に座っていろんなことを考えて、いろんなものを見た。久しぶりに座ったその階段。久しぶりに集まった仲間があの頃と同じように飲んだくれていて(笑)、同じ景色が見えた。この場所は私の場所だなぁって(違うよ!ってつっこみはあえて無視して(笑))思っちゃった。まぁ、当然卒業した私の場所ではないんだけどね(笑)。でも、ほら、ヒーリングスペースって言うのかな?我を失いそうになった時、パワーダウンしちゃった時、その場所で再びパワーをもらうって言う・・・。
あんまりゲームとかしないから良く分からないけど、RPGとかでそういうのってあるでしょ?充電する場所って感じ。おかげですっかり自分を取り戻せた。でも、それは場所だけの話ではないね。きっと。沢山の仲間のおかげ。後輩も先輩も皆んな、私を唯一無二の私として認識してくれていたから。ありがとう、我が母校!ありがとう、創君!ありがとう、みんな!
また、会おうね!また、会えるね!
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